「正受翁遺愛碑(兼松経塚)」ものがたり


正受翁遺愛碑 (水道みち東端に移転したもの)



409 兼松正受翁遺愛碑(かねまつしょうじゅおういあいひ)

名古屋台地の東半は、水利に恵まれず原野のまま放置されていた。名古屋新田(東区・千種区・昭和区・瑞穂区の十八ケ村)と称してこの原野の開拓に着手したのは万治年間(一六五八六〇)である。

貞享五年(一六八八)頃新田頭源右衛門にはじめて(クチ)(マイ)(藩からの給与)が給せられ、その後、新田頭は小塚源兵衛と兼松源蔵との二家によってつとめることになった。名古屋城下町に居住して采配(サイハイ)をとってきたが、兼松家は天明年間(一七八一八八)東矢場東池ノ内(千種区高見一丁目)に移った。これが兼松宗右衛門で法名を正受といった。いっぽう小塚家の源兵衛も文化四年(一八〇七)古井村南吹上に移った。

「兼松正受翁遺愛碑」は、子の(タミ)(スケ)が父宗右衛門の遺徳を偲んで建て、文政二年(一八一九)『尾張徇行記』の著者樋口(ヒグチ)好古(コウコ)が碑文を書いた。

 

  <『名古屋の史跡と文化財』(新訂版)125ページ

    名古屋市教育委員会・平成31031日・第二版発行>より引用

 


(*)「兼松正受」  文永5年(1776)に名古屋新田長になり、振甫池の南東にあった鉄炮坂池を私費で築造し、66反の水田を開拓した。文化4年(1807)、63歳で没。法名実源院浄応正受居士。

(*)「樋口好古」  碑文を記した樋口好古(17501826)は尾張藩士・農政家。『郡村徇行記』39冊は職分に役立てようと尾張全村と美濃、近江の藩領諸村を踏査し、記録したもの。他に『牧民忠告解』、『詩稿』などの著書がある。


「兼松経塚」の石碑移設の経緯

  水道みち緑道の北側の、大木に覆われた小高い塚の上に古びた石碑がたてられていた。この塚は「兼松源蔵の経塚」と呼ばれていたもので、<このあたりに名古屋新田を開発した兼松源蔵法号正受の功績を伝えるため、文政2年(1819年)に、その子源蔵民弼(たみすけ)が記念碑を建て石経(石に墨でお経を書いたもの)を祭った塚>(1963年・高見小学校発行の「たかみ 30周年記念」誌の解説)であり、当学区内には数少ない貴重な史跡であった。

 

石碑の文面は200年の風雨に曝されて読みにくいが、下の写真に見られるように、石碑の上部に「正受翁遺愛碑」、左側面に 「文政二年己卯秋九月」、「縣令長 樋口好古 誌   那古野新田長  兼松民弼 建」 と刻まれている。

 

正受翁遺愛碑の文字

左面に年号、樋口好古、兼松民弼の名

昭和6年の改修時に

建てられた標柱

 


 

 上掲の写真右端の石柱によると、昭和6年に有志の手で塚の改修が行われた。石柱の文字は 「兼松氏名古屋新田開墾記・・」、「其梗概勒在正受翁遺愛碑」、「昭和六年五月 有志総代 西尾豊・・」(下部は折損)と読める。

 

 その後は放置されたものか、碑は傾き、石段はくずれ、大木に覆われて足を踏み入れる人も少ない状態であった。

 

  2010年(H22)9月、高見学区連絡協議会専用のホームページ「あたたかみ」が発足し、学区紹介の一項目に、この塚と石碑を貴重な史跡としてとりあげた。

 

 「兼松経塚」の地権者のお一人で東京在住であった方がたまたまこの記事を目にして、石碑の歴史的価値を認識され、この土地の処分に際し、「正受翁遺愛碑」の保存と適当な場所への移転について高見学区連絡協議会・大野会長に相談された。

 

 この件に関し、2012年7月17日、高見コミュニティセンターで打合せ会が開かれた。出席者は土地の地権者5名、高見学区連絡協議会の役員有志、地区の歴史に関心を持つ有志、行政側から千種区役所企画経理室長早川氏など、全14名であった。

 

  移転費用及びお祓いに関して地権者側からのご好意のお申し出があり、また地元側としても学区内には数少ない貴重な史跡として保存を望む声が多かった。問題は石碑移転先の場所確保だが、行政に対して地元の要望書を送るなど、保存移転の実現に向けて働きかけて行くこととなった。その後、大野会長が中心となって行政側と交渉を続け、水道みち東端の歩道脇に移設する許可が得られた。

 

 塚を覆っていた大木数本は伐採され、塚は掘り崩されて更地となった。言い伝えの石経らしきものは残念ながら発見されなかった。

 

 石碑と石柱は移設工事を委託した山田石材合資会社によって回収され、同社の資材置場に一時保管された。その機会を利用して樋口好古の誌した碑文の読み取りを試みた。その全文を下に示す。

 


横たえた碑面に塩を撒き、刷毛、鉄篦で余分な塩を除くと、刻まれた文字がくっきりと現れる。



注:石碑は高さ145cm、幅51cm、厚さ32cm、文字数は603

     注:縦書き13行、1行は48字、□は空白4字分、△は読み取り不能2字

   注:第2行、第8行の「號」は碑文では 偏=「号」、旁=「乕」、「号乕」

 


2012年9月29日、山田石材店によって移設工事が行われた。


地震対策としてステンレス棒で石碑と台座が連結された。

所在地は 振甫町四丁目27番地先、水道みち東端の歩道上


移転完了祝賀会

 移転完了を祝って、2012年11月27日午後、振甫町四丁目27番地先、水道みち東端の移転石碑の前で祝賀会が開催された。

 

左は挨拶する大野会長

 

右は司会の若山さん、幹事として祝賀会の設営、掲示板の設置、解説パンフレット作成などに尽力された。

 


 

 

祝賀会に参加された地権者、高見学区役員、行政・学区顧問などの来賓、近隣の住民の方々など。



左は高見学区連絡協議会広報誌「あたたかみ」19号3ページの切り抜き。