『佐倉宗五郎』より「子別れの段」2019.12.15 高見コミセン
(昨2018年の文楽公演「由良港千軒長者三庄太夫一代記」は下に掲載 ↓)
昨年(2018)、今年2019)と2年にわたり、人形浄瑠璃の公演を実現された
高見学区福祉推進協議会会長・小林有三さんのご挨拶。
なお、小林さんは定年によりこのたび福祉推進協議会会長を退任された。
椅子席70、座布団席30が満杯の盛況
先ずは「操り三番叟」
人形に(見えない)糸を取り付け(るような操作をみせ)て、 操り人形のような動きをさせる。
佐倉宗五郎 子別れの段
下総(しもうさ)(千葉県)佐倉の名主木内宗吾は、領主堀田上野介(こうずけのすけ)の暴政に苦しむ農民を救うため、江戸屋敷に門訴したが、不成功に終わったので、いったん国へ帰り、監視厳しい印旛(いんば)沼を渡し守甚兵衛の義侠(ぎきょう)で渡って、妻子に別れを告げ、ふたたび江戸へ上り、上野・寛永(かんえい)寺で将軍に直訴する。願いはかなえられるが、上野介は宗吾を妻子もろとも磔刑(はりつけ)に処したあと、宗吾一家の亡霊に悩まされ、ついに堀田家は滅びる。有名なのは「渡し場」「宗吾内子別れ」「直訴」の3場で、とくに「子別れ」は雪を効果的に使った愁嘆場として名高い。(出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ))
追われる身となった宗吾郎は、直訴の前に一目家族に会いたいと、雪の中をひそかに戻ってくる。
女房おさんと4人の子どもは大喜び。直訴の累を家族に及ぼすまいと書いた去り状を見つけたおさんは・・
「奈落の底までごいっしょに・・」となげき、
宗五郎は去り状を破り捨てる。
父の帰りを喜んでまつわりつく子どもたち。
一人はまだ乳飲み子。
母と弟妹をたのむぞと長子に言い残す。
すがりつく子どもたちを振りきり
女房子どもに見送られて
雪道を江戸へ向かう宗五郎
2018年の文楽公演
「由良港千軒長者三庄太夫一代記」(18.10.23 公演 高見コミュニティセンター)
奥州の長であった父 正成が筑紫の国に流罪となったため、伊達の郡、信夫の庄に隠れて暮らしていた姉の安寿姫と弟の対王丸(ずしおうまる/つしおうまる)は、母と乳母ともども朝廷の許しを請うため都に向けて出発しました。しかし、道中四人は悪い人買いにだまされ、母と子供二人は別々に売られてしまいます。安寿と対王丸が買われたのは、由良港の長者三庄太夫のもとでした。
山別れの段
安寿は潮汲み、対王丸は柴刈りを命じられ、つらい日々を耐える二人は、逃亡の相談をしますが、三庄太夫の冷酷な三男、三郎に聞かれ、額に焼き印を押されます。対王丸は安寿のすすめで山をこえて逃亡します。
都落ちの段
山を下った対王丸に追手が迫ります。雪に難渋した対王丸は切腹を覚悟しますが、不思議な老人があらわれ、国分寺へ逃げるようにと諭します。
国分寺家探しの段
国分寺にたどり着いた対王丸はそこの聖にかくまってくれるように嘆願します。
聖は対王丸をつづらに隠します。
(雪の日、訪れる人もないことを嘆く聖)
(雪道を国分寺に辿りついた対王丸)
(聖に嘆願する対王丸)
(対王丸をつづらにかくして吊り上げる聖)
(雪の足跡を追って三庄太夫と三郎は国分寺へ)
(あのつづらこそ怪しいと・・・)
(はしごをかけて山門に登る三郎と三庄太夫)
(つづらから金光がほとばしって二人は昏倒)
(聖は対王丸を隠したつづらを背負って都へ)
(国分寺二度対面の段)
(都で帝に対面、対王丸は丹後の国司となる)
(国分寺が国司御宿と指定されて驚きおののく聖)
(村人は逃げた聖を捕らえて国司にひきわたす)
(国司は聖に旧恩を謝し、姉の安否を問う。安寿はすでに骨つぼ(山門下)の中)
(対王丸は蝦夷に母を尋ねて再会する。母は悲しみで両目とも泣きつぶし、千丈が畑で雀を追っていた)
(地蔵尊のご利益で、両目とも見えるようになり・・・)
(亡き安寿姫の菩提のため、地蔵菩薩を丹後の国に安置して御堂を建立した)
(盛大な拍手、椅子席は満員、参加75名)
出 演
松田史子 篠村智子 木村眞子 梅木きみ子
江口美和 中村恵里子 服部佳枝 服部節子
吉川匡江 田中陽子
スタッフ
演 出 木村繁
人 形 おばらしげる
振 付 工藤鍵道
装 置 福永朝子 安島綠
資料提供・協力 服部政彦 (甚目寺説教源氏節六代目故岡本美寿松太夫長男)
もくもく座
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代 表 松田史子 Tel 052(444)8688