高見寿クラブ連合会
(千種区老連/公益社団法人名古屋市老人クラブ連合会に所属)
会 長 : 水野 章博
創立年月 : 昭和39年2月(1964年)
構成人員 : 314名(2020年4月1日現在)
会 費 : 年会費 一名 800円
活動目的 : 会員相互の親睦を図り、健康・友愛・奉仕を基本に、生活を豊かにする楽しい活動と地域を
豊かにする社会活動に取り組み、健康で生き甲斐のある生活の実現と高齢者の保護福祉の
健全な発展に寄与すること。
活動状況 : 参考資料 今年(2020年)はコロナの関係で開催日時は未定です。
・親睦旅行の実施
・グランドゴルフの実施(月、水、金、土 週4回、千種)
・カローリングの実施
・学区主催の環境・健康・親睦に関する行事
・区老連主催の親睦、スポーツ等に関する行事等
コメント : 会員の資格はおおむね60歳以上の方とし、常時活動できない方も会員として迎え、
支え合い、喜びを共にできることを考えています。
新し会員を歓迎しますので、皆様の声かけをお願いします。
2022年度高見寿クラブ連合会総会報告
2022年度高見寿クラブ総会が5月24日(火)高見コミュニティセンターで開催され各クラブの役員、総計40名が出席し開催されました。
物故会委員の冥福を祈り黙祷の後、水野会長章博氏の挨拶で始まり、高見連絡協議会会長 佐藤眞司氏から来賓祝辞を頂き、鈴木副会長の司会で議事に入りました。
2021年度の事業報告、決算報告、会計監査報告、役員紹介と進み、2022年度の行事計画(案)、予算(案)が満場一致で承認されました。引き続き本年度目出度く迎えられた方々、白寿(2名)米寿(13名)喜寿(14名)が発表され、それぞれの方に記念品が贈呈されて、無事総会が終わりました 。
2022年度高見寿クラブ連合会役員・単位クラブの会員数と対象地域 | |||||||
役 職 | 担 当 | クラブ名 | 氏 名 | 男 | 女 | 計 | 対象地域 |
会 長 | 第1 | 水野 章博 | 6 | 17 | 23 | 振甫町1丁目、〃2丁目北 | |
副会長 |
会 計 | 第5 | 鈴木 洋海 | 9 | 25 | 34 |
高見1丁目中・西・北 |
理事 |
庶務・会計監査 | 若水 | 佐野 匡司 | 20 | 22 | 42 | 若水3丁目・中南、中北、サンマンション |
〃 |
若手会員 | 第8 | 船橋 謙治 | 14 | 24 | 38 | 仲田2丁目東・西・南 |
〃 |
女性・スポーツ | 第3 | 加藤 富江 | 10 | 21 | 31 | 若水3丁目・北、若水住宅 |
〃 |
第2 | 平野 修義 | 9 | 21 | 30 | 振甫町2丁目・南、〃3丁目 | |
〃 |
会計監査 | 第3 | 内藤 忍 | ||||
〃 |
第6 | 小川 未容子 | 12 | 28 | 40 | 高見1丁目東・南 | |
〃 |
第7 | 加藤 千津子 | 6 | 20 | 26 | 仲田2丁目南・北 | |
〃 |
旅 行 | 第6 | 平野 弘 | ||||
〃 |
旅 行 | 若水 | 加古 美智子 | ||||
〃 | スポーツ | 第6 | 水野 春子 | ||||
合 計 | 86 | 178 | 264 |
平成30年度高見寿クラブ連合会総会報告
平成30年度高見寿クラブ総会が5月10日(土)高見コミュニティセンター
で開催され各クラブの役員、総計40名が出席し開催されました。
会長水野章博氏の挨拶で始まり、来賓祝辞を本年度新たに就任された高見連絡協議会会長佐藤眞司氏から頂き、議事に入りました。
29年度の事業報告、決算報告、会計監査報告と進み、30年度の行事予定(案)
予算(案)が満場一致で承認されました。引き続き本年度目出度く迎えられる米寿(9名)喜寿(15名)が発表され、それぞれの方に記念品贈呈されて、無事総会が終わりました 。
平成30年度高見寿クラブ役員
クラブ名
|
対象地域 |
会 長 就任年月日 |
副会長 就任年月日 |
会 計 |
幹 事 |
高見第一 寿クラブ |
振甫町1丁目 々 2丁目北 |
水野 章博 H17.4.1 |
安保 英明 H24.4.1 |
野村 米子 |
加藤 泰通 |
高見第二 寿クラブ |
振甫町2丁目南 々 3丁目 若水の一部 |
平野 修義 H30.4.1 |
江崎 清子 H30.4.1
|
吉田 達子 |
横橋 和江 橋本三千枝 平林 元 長谷川みさ子 |
高見第三 寿クラブ |
若水3・北 若水住宅 |
加藤 一己 H26.4.1 |
伊藤 定勝 H27.4.1 |
中村 喜久子 |
青柳 多美 加藤 富江 |
高見若水 寿クラブ |
若水3・中南 中北 サンマンション |
佐野 匡司 H28.4.1 |
加古美智子 H15.4.1 |
伊藤 喜弘 |
太田 保行 竹倉 護 |
高見第五 寿クラブ |
高見1丁目 中 西 北 |
鈴木 洋海 H30.4.1 |
小原 史子 H30.4.1 |
横山 文雄 |
黒田 栄 黒田 美代子 |
高見第六 寿クラブ |
高見1丁目 東・南 高見2丁目 |
水野 春子 H28.4.1 |
西野 富久 H25.4.1 |
日比 節子 |
猪飼 静子 岡地 重代 |
高見第七 寿クラブ |
仲田1丁目 南 ・北 |
加藤千津子 H30.4.1 |
久世 泰子 H30.4.1 |
松岡 房子 |
大澤 伊代 河村 末子 |
高見第八 寿クラブ |
仲田2丁目 東・西・南 |
舟橋 謙治 H30.4.1 |
水野 勇夫 H30.4.1 |
東本 小夜子 |
川井 美智子 稲垣 千恵 宇野美恵子 |
高見第十 寿クラブ |
振甫町4丁目 蝮ヶ池・向陽 四観音住宅 |
平野 弘 H15.4.1 |
伊神 久子 H15.4.1 |
平野 信子 |
丹羽 直美 川澄 美根子 |
寿クラブ平成29年度最後の旅行は、下田、伊豆白浜温泉1泊2日の旅でした。
参加者数は女性20名、男性15合計35
名で心配された天候は静岡県に暴風警報が2日間に渡り出ていて、どしゃぶりを覚悟しましたが、長泉沼津ICの食事会場までは雨に降られず、浄蓮の滝で少し降られましたが、ほとんどの方が18メートル下の滝つぼまで下りられました。雨で水量が多いのか迫力のある滝に感動しました。
帰路が大変きつい階段を息を切らせながらも91歳Y氏を含め全員無事戻れました。
その後白浜神社に参拝し宿泊先のホテル伊豆急に入り、楽しい夕食とカラオケで大いに盛り上がりました。
2日目の朝はほとんど雨も降らず竜宮窟は自然の力で掘れたハート形の洞窟を眺め太平洋
ら吹き付ける白波の美しさに見とれました。その後「みなみの桜(河津さくら)と菜の花
まつり」を散策しマーガレットラインを通り堂ヶ島へ、そこで昼食をとり堂ヶ島、天窓洞見て
伊豆の西海岸の美し風景を眺めながら帰路につきました
途中今回の旅行では富士山は絶対に見られないと思っていましたが、雲の中の富士が見られ
これも又一興でした。その後ビンゴを楽しみながら、予定時間を少し遅れましたが、
全員無事に帰ることが出来ました。
カローリング大会
高見寿クラブ主催のカローリング大会が、台風一過の10月23日(月)生涯学習センターで開催されました。30名のエントリーがありましたが、全員参加とはいきませんでした。水野会長の挨拶の後、スポーツ担当の加藤さんからルール説明を受け、準備体操をして体をほぐし、ゲームが始まりました。
歳を感じさせない大声援を受け、選手は真剣に取り組みました。試合の結果は大接戦でしたが優勝したチームは、予想外とは失礼ですが、水野会長チームで皆さんからの盛大な祝福と賞品を受けました。
終わった後の会話では、とても楽しかったので、是非また行ってほしいとの声が多く聞かれました。
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平成29年度高見寿クラブ連合会役員 |
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役 職 |
担当 |
クラブ名 |
氏 名 |
男性 |
女性 |
会員数 |
会 長 |
若手委員 |
第1クラブ |
水野 章博 |
10 |
24 |
34 |
理 事 |
|
第2クラブ |
橋本 三千枝 |
11 |
36 |
47 |
副会長 |
会計・スポーツ |
第3クラブ |
加藤 一己 |
15 |
22 |
37 |
理 事 |
庶務 |
若水クラブ |
佐野 匡司 |
24 |
32 |
56 |
理 事 |
女性リーダー・旅行 |
若水クラブ |
加古 美智子 |
ー |
ー |
ー |
理 事 |
会計監査 |
第5クラブ |
黒田 榮 |
11 |
17 |
28 |
理 事 |
スポーツ |
第6クラブ |
水野 春子 |
14 |
23 |
37 |
理 事 |
|
第7クラブ |
久世 泰子 |
12 |
25 |
37 |
理 事 |
|
第8クラブ |
太田 太喜男 |
24 |
40 |
64 |
理 事 |
会計監査・旅行 |
第10クラブ |
平野 弘 |
7 |
30 |
37 |
|
|
|
合計 |
128 |
249 |
377 |
平成29年度高見寿クラブ連合会総会が平成29年5月20日、コミセンで行われました。
会長 水野章博氏の挨拶で始まり、来賓祝辞を高見学区連絡協議会会長 大野鐘三氏より頂き、28年度事業報告、決算報告、29年度事業計画収支予算案、行事予定等が提示され、承認されました。そして、今年目出度く米寿の方14名、喜寿の方22名の方々に記念品が渡されて、無事終了しました。
高見寿クラブ 四国への旅(平成28年7月11日)
高見寿クラブ 四国への旅は1泊2日総員36名で行いました。心配された雨もほとんどなく
最初に訪れたのは、霊山寺四国八十八ヶ所霊場の行程はおよそ1460キロの巡拝する遍路は、ここが「発願の寺」、1番札所「同行二人」の長い旅となる。縁起によると、聖武天皇(在位724〜49)の勅願により行基菩薩が開創された。弘仁6年(815)、弘法大師が四国の東北から右廻りに巡教された際、この地で衆生の88の煩悩を浄化し、また衆生と自らの厄難を攘はらって、心身の救済ができる霊場を開こうと37日間の修法をされた。その時、仏法を説く一老師をたくさんの僧侶が取り囲み、熱心に耳を傾けている霊感を得た。大師は、その光景が天竺(インド)の霊鷲山で釈迦が説法をしていた情景と似ていると感じとり、インドの霊山を和国(日本)に移す意味で「竺和山(じくわさん)・霊山寺」と名づけられた。
2日目は栗林公園散策です。室町の手方を残す石組みの地をもとに江戸時代、讃岐高松藩の歴代藩主により百年余りの歳月をかけ完成、下屋敷として利用されていました。広さは、東京ドーム3.5個分にあたる約16.2ヘクタール。これだけでも大名庭園の中では最大級ですが、背景となっている紫雲山を含めた面積は、東京ドーム16個分の約75ヘクタールにも及び、文化財に指定された庭園の中では日本一の大きさを誇ります。
栗林公園散策のあとは、瀬戸中央道を通り与島で休憩、お土産を買い込み、昼食を「西の屋赤坂店」で美味しいセイロご飯を頂き、一路帰路につき18時30分全員事故もなく無事に帰りました。
寿クラブ 伊豆長岡温泉一泊二日の旅は、快晴に恵まれて総員43名で、今回は先般豊田東JCTから浜松いなさJCTが開通した新東名を通って出発しました。
早速新装なった岡崎SAにトイレ休憩に寄りました。徳川軍の陣屋か代官屋敷をイメージしたSAで、休憩テラスも広く、内部もデラックスな雰囲気で、トイレは広く個室にはランプがついていて豪華でした。
上下線共用のSAで、下り方面の建屋はミミズク?をイメージしたような外観のデザインでした。
新しい舗装の新東名はバスに乗っていても振動は殆どなく、静かに走るので快適でした。富士宮付近で冨士山が見えるとガイドさんが言うので見上げると、偶然と言うか雲一つ無い冨士山の山頂が望見されました。
期待をこめて三島スカイウォークに到着しましたが、晴れてはいても肝心の冨士山は、寄り添ってくる雲に隠れて見えなくなっていました。
スカイウォークを渡る前に参加者一同の集合写真を撮影して、全長400m 高さ70.6m歩道幅1.6m 主塔の高さ44mの、歩行者用としては日本一のスカイウォークを渡りました。
風もあまりなくて、それでも皆が歩くので少し振動はありましたが、高所恐怖症の私でも悠々と歩く事ができました。周りの景観も良くて、吹き抜けるそよ風がとても気持ちよいほどでした。
冨士山に掛かっている雲も、時々は冨士山の形を認識できるくらいにはなっていましたので、冨士山を見たことにはなりましたが、私はこの橋を渡ると、箱根か何処かに通じる道に繋がるものと思っていましたが、 400mを渡って土産物を買って折り返しで帰るだけでは、何のためにこの橋が出来たのかと不思議な気持ちが致しました。
伊豆の国市の韮山反射炉に来ました。
安政1年着工して安政4年に竣工した、高さは約15.7m
連双2基(4炉)で、外部は伊豆石組積
内部は耐火煉瓦アーチ積
煙突部は
煉瓦組積(竣工時漆喰塗り)の韮山反射炉は、江戸時代ペリー艦隊の来航を機に、
品川のお台場に据え付ける大砲を鋳造する為に、時の韮山代官
江川太郎左衛門英龍(エガワタロウザエモンヒデタツ)が中心となって築造しました。
鎖国の江戸時代にあって、欧州の技術に勝る築造と、製品の大砲も展示されていましたが、その品質に感服する次第です。お台場に大砲が坐っているだけで外国の侵略を免れた、当時の幕府の気概も感じられます。
反射炉の見学が終わると、私達は伊豆長岡温泉の天坊と言うホテルに一泊しました。翌朝のバイキングでの室鯵の干物が美味しくてお代わりしたい程でした。
ここから静岡の匠宿に行きました。匠宿とは竹細工・染め物・陶芸・等の体験工房とお土産・食事或いは展示館等の施設があるドライブインみたいなところです。
ここで降りるときには強い雨が降っていました。
匠宿へ入って行くと、茶葉の皿がたくさん並んでいて、袋を貰ってめいめいでお茶の葉を袋一杯詰め込んで、密封してお土産にくれると言う。有名な川根茶です。(新茶ではありません)
私達はその中のたくみ亭でとろろ汁の昼食をしました。(場所も丸子のとろろの丁子屋に近い)
食事が終わってつるし雛の展示館を見学しました。
雨の中を静岡市内の久住山洞慶院に向かいます。梅園が有名なのです。しかし少し上りの、雨が流れる路を歩いて行くと、梅園はまだ5分咲きでした。梅園の脇を通って本堂に上がって拝観しました。禅宗の立派なお寺でした。
帰り道で傘をさしながら、少し型の良さそうな梅を撮って帰りました。
ここで行程を全て終わり、新東名に乗って帰路に就きました。途中長篠設楽原SAでトイレ休憩をしましたが、新東名はカーブが少なくて距離が短いのかと思うほどスピードが早く、
予定時間より大分早く名古屋に帰って来ました。
今回の旅行は、後半雨に祟られましたが、前日は好天で、スカイウォークで霞んでいたけれど冨士山を見た事と、前日の昼食を含めてホテルのバイキングも美味しかったし、参加者一同、結構お買い物もウォーキングも楽しみました。
高見寿クラブ 加賀温泉郷奥山中温泉の旅 (平成27年7月8日)
(撮影・記事:取材協力者太田さん)
高見寿クラブは7月
8日(水) am8:30出発で、梅雨空にむかって、観光バスで北陸新幹線に乗り山中温泉へ出発しました。
東海北陸道で白鳥ICから越前大野に向かい、途中休憩の恐竜街道
道の駅九頭竜では、親子の恐竜が何分かおきに口を開けて鳴き声を放って居ました。
越前大野のお城は天空の城と呼ばれているそうで、竹田城のように霧に浮かぶ姿は一見の価値があるそうです。大野に着いて、雨の中で傘をさして、寺町や武家屋敷の街並を案内人について散策しました。
雨の合間を、天空の大野城が見えるところで参加者一行の記念写真を撮りました。
ここから加賀温泉郷
奥山中温泉
花つばき(旅館)に向かい、早めにホテルに入って温泉に入り、会食をして盛り上がりました。
翌9日はam8:00出発で、土産物を買ったりして、金沢駅に至り、新幹線乗車までの間に、新しい金沢駅の様子を見学しました。
南口正面には空一杯のもてなしドームがあって、その玄関に鼓門がありました。この門はおもてなしの傘の姿をかたどっていると言われましたが、あまりピンと来ませんでした。
ホームに入ると新幹線の列車が到着していました。早速先頭車両まで行って、金ピカのラインのある先頭車の写真を撮ってきました。
新幹線の車内は、何処がどう変わったと言うところは見当たりませんでした。グリーン車かVIP車かは、金ピカの内装があるとか話は聞いていたが、私達は1~4号車の自由席なので、確かめには行けませんでした。
富山駅までは20数分で到着して、駅に待っていた観光バスに再び乗車して、R41を数河ドライブイン経由、東海北陸道、名神、名高速を経てPM6:00前には帰る事が出来ました。
一日目 名古屋-(中央道)-恵那峡-駒ヶ根-佐久-軽井沢白糸の滝、信州草津温泉 ホテル高松
二日目 ホテル-志賀高原ルート(標高2000メートルの絶景展望)-中山晋平記念館-長野善光寺参拝-上信越道・中央道
-駒ヶ根-恵那峡-名古屋
高見寿クラブ役員研修の旅 (平成26年3月)
今回は60年に一度の式年遷宮を終えたばかりの出雲大社への参拝と、横山大観の素晴らしい絵画や見事な日本庭園でおなじみの足立美術館の見学。 瑪瑙(めのう)をしきつめた大浴場、神話に包まれた名湯玉造温泉を訪れる一泊旅行の旅。
(撮影・記事:取材協力者S氏)
一日目: 高見学区-東名阪-中国道-美作(昼食)-中国道、米子道-足立美術館(3時間見学)-安来-玉造温泉(長生閣)泊
二日目: 長生閣-出雲大社(案内人と共に参拝)-宍道湖-境港(昼食、買い物)-米子-中国道-東名阪-高見学区
写真左:ガイドの中沢さん。 美声で大変詳しく、長時間ガイドしてくれました。
写真右: 出雲大社本殿の頭上にある巨大なしめ縄。
写真左:銅像とウサギ、「御慈愛の御神像」。 出雲の国にお鎮まりになる大国主大神は「ダイコクさま」とも慕われています。その中心が出雲大社です。大国主大神は日本の国土をおつくりになりました。 また縁結びの神様でもあります。
写真右:窓から見た風景。床の間の壁をくりぬいて、あたかも一幅の絵画のように見せる、足立美術館の名物 。
写真左:指差している銅像は足立美術館創設者「足立 全康」氏。氏曰く 「庭園もまた一幅の絵画である」。
写真右: 庭園は「池庭」、代表的な庭園 。
参加者の全員
平成25年 夏の一泊旅行
平成25年7月16/17日 河口湖温泉1泊2日の富士山観光旅行を楽しみました。(撮影・記事:取材協力者S氏)
1日目:高見学区ー新東名ー御殿場ー富士五湖道ー花の都公園ー河口湖。 湖南荘宿泊。
写真左:河口湖から見た富士山。2日間とも全景はみられませんでした。(富士山山頂が雲に隠れている)
写真右:富士山5合目から富士山を見る。間近ではあるが山頂は見えない。 (大きな屋根の向こうに山、その上には雲)
2 日目:湖南荘-冨士浅間神社-冨士スバルライン-冨士山五合目-青木が原樹海 - 朝霧高原-焼津さかなセンター-名古屋
写真左:忍野八海は人気の的。大混雑です。
写真右:浅間神社。”日本武尊、当地より富士の霊峰を遙拝なされた。その由縁をもって富士登山のともがらは、本神社参拝の後に登ること、往古より変わらぬ例とす”
(拝殿前の集合写真)
写真左:忍野八海(おしのはっかい)入り口
写真右:世界文化遺産 富士の湧水
写真左:湧池に投げ込んだ硬貨は水深8mで1円、100円の識別可能です。(注:湧池の看板)
写真右:天然記念物・富士浅間神社の檜。この木は2本の檜が根本で
1本になり、また地上12mで合着していることから、「富士夫婦檜」と
呼ばれて広く市民に親しまれている。(注:大木に注連縄)
二日目 ホテルハトヤ~買い物(海産物)~買い物(鈴廣かまぼこ)~小田原城(案内人付散策)~城址~二宮尊徳神社~箱根新道~沼津~帰路
小田原城は15世紀中頃大森氏が築いた山城が前身で、その後戦国大名小田原北条氏の居城となってから関東支配の拠点として次第に拡張され、豊臣秀吉の小田原攻めに備えるために築造された。城下町を囲む延長9キロにおよぶ総構(そうかまえ)の出現により城の規模は最大に達した。
最後に、美人ガイドの岩田さん、ありがとうございました。
ビンゴゲームで全員におみやげが配布されました。お疲れさんでした。(撮影・記事:取材協力者S氏)
写真右:浅間神社。”日本武尊、当地より富士の霊峰を遙拝なされた。その由縁をもって富士登山のともがらは、本神社参拝の後に登ること、往古より変わらぬ例とす”
写真右:天然記念物・富士浅間神社の檜。この木は2本の檜が 根本で1本になり、また地上12mで合着していることから、「富士夫婦檜」と呼ばれて広く市民に親しまれている。(注:大木に注連縄)
(拝殿前の集合写真)